書感:失敗の科学(冗談でもなんでもなく全人類が読んだ方が良い書籍です ~ 特に、政治家や法律家、経営者、管理職など物事を決める立場にある人物は絶対に!)

ご無沙汰しておりました。久々の投稿になります。

 

今回は、書籍『失敗の科学』を読みました。

 

本書は、医療業界、航空業界、裁判、政治など一つの失敗が取り返しがつかない業界/領域から、製造業、報道業界、IT業界、スポーツ界、学生を使った実験、など様々な分野での失敗事例の分析を通じて、『あらゆる失敗に通じる「原因」と一流の組織が備える「学習システム」のすべて』を明らかにした書籍です。


これまた超有名書籍ですが、いまさらながら初めて読みました。

 

本書では冒頭で述べた通り、様々な業界/領域での事例を通じて、なぜ失敗が起きるのか?また、その失敗から学ぶことの重要性について、繰り返し繰り返し説明します。

また、一つ一つの事例が、その失敗の発生過程を非常にリアルに再現し、まるでその場にいる(けど、その様子を客観的に見ている)かのような気持ちにさせるくらいにリアルに描写します。正直に言って、その様子はハタから読んでいる分には、当事者たちがなぜそのような愚かな行動を取っているかが分からないのですが、その後の解説によってどうしてそういう行動を取ったのかが分析され、なるほどー(・・・⤵[でもガッカリ])と思わされす。

また、どれだけ失敗を繰り返してもほとんど改善しない権威主義的な業界/組織(医療業界/刑事司法/他)と、失敗から学び改善に努める業界/組織(航空業界/IT起業家/他)の違いも鮮明に浮き彫りにします。


事例の中には、死亡者が出たり人生に取り返しのつかないダメージを受ける深刻なものがあるだけに、読んでいて苦しい想いになるのですが、それが更に、人為的なミスによるもので、かつ、その失敗を認めない見苦しい当事者たちの態度を読むにつけ、暗澹たる気持ちにさせられます。(そこまで深刻じゃない事例も相応にあるのですが、どうしてもメンタル的に重くのしかかるので、印象の度合いとして深刻なものの方が強く残ってしまうのですよね・・・)

 

本書の最初の事例は、幼い子供2人の母親エレイン・ブロミリー(37歳)が副鼻腔炎の手術における事例です。

執刀医は30年を超える経験を積んだベテラン医師。麻酔科医も16年のキャリアがある、これまた十分な経験を持つ医師で、病院の設備も素晴らしく申し分のない状況でした。

ところが、簡単な手術のハズが、麻酔後の呼吸を補佐する喉頭マスクの装着が出来ないという想定外の事態に2人の医師は手間取ります。2分後にはチアノーゼ(呼吸ができないことなどにより皮膚や粘膜が青紫色になる現象)を起こし始め、血中酸素飽和度が75%まで下がる状態になりました(通常90%を切った段階で「著しく低い」と見做される)。代替手段として、酸素マスクを使うが効果がなく、気管挿管もうまく行かない。緊急事態に応援の医師も1名駆け付けました。

悪化し続けるエレインの血中酸素飽和度(モニターに表示できる限界の40%にまで落ちた)と心拍数(50bpmまで下がった)を見て、こうした事態の最終手段として気管切開の準備をベテラン看護師が行います。ところが、ベテラン看護師の「気管切開の準備ができました」という発言にベテラン医師達は何の反応を示さず、ますます躍起になって、口から気管へチューブを通そうと作業に没頭してしまいます。

看護師は、もう一度声を掛けようかと迷いましたが、経験豊かな3人の医師が気管切開という選択肢を考慮していないハズがない、自分には思いもよらない理由があって気管切開は選択肢から外されているのかもしれない、声を掛けることによって先生たちの集中力を削いで事態の悪化を招いたら・・・それに、私も経験を積んだとはいえ先生たちよりもずっと若手であると考え、声をかけられずじまいでした。

その後も医師たちは、さらに心拍数が落ちて(40bpm!)、明らかな酸素欠乏状態になっても、ますます口からの気道確保に躍起になり、気管挿管を再度試し、新たな喉頭マスクの挿入も試しましたが、何ひとつうまくいきませんでした。

その後、なんとか酸素飽和度は90%にまで戻りましたが、しかしこの時点ではもう手遅れでした。使われることのなかった気管切開の準備から8分も経過していたからです。酸素欠乏状態になってからは、20分もの時間が過ぎていましたた。医師たちは時計を確認して愕然としました。いつの間にそんな時間が経ったというのか?

そう、この愚かな執着は、医師たちは目の前の事象に集中しすぎていて、時間がどのくらい過ぎているか認識していなかったことに起因していたのです。。。

結局、エレインは集中治療室に移されましたが、脳には壊滅的な損傷が見られました。そして、その13日後には昏睡状態のまま亡くなられました。

手術当日の午前11時(手術開始は8時半)に、主人のマーティン氏は病院に呼び出されエレインさんの状態について聞かされます。

『麻酔の段階で問題が起こりました。』『避けようがありませんでした。こういうことはときどき起こるんです。原因はわかりません。麻酔科医らは最善を尽くしましたが、どうしても状況を変えることができませんでした。大変残念です。偶発的な事故でした』と。

気管挿管に何度も失敗したことへの言及はなく、緊急処置の気管切開が行われなかったことについても一切触れられませんでした。もちろん、最悪の事態になる前に、看護師が気管切開の準備をして医師たちに声を掛けていたことも。。。

うーん・・・何度も読み返しても身につまされるエピソードなのですが、単純にこの事例を「けしからん!」といってこれらの医師や看護師を責めても問題は解決しないと言います(理由は後述)。

 


このような医療業界の事例と対比して航空業界の事例も取り上げられます。両者ともに人の命を預かる業界ですが、両者の安全性には大きな違いがあります。医療の方が恐らく複雑ですし、そもそも病気というリスクを抱えた状態での行為なので、一概には言えないのですが、それでも安全を最大限重視しなければいけない二大業界における組織文化や心理的背景の違い、そして、失敗に対するアプローチの違いが、安全性の違いに大きく寄与しているという本書の分析には説得力があると思います。

 

航空業界では事故が発生した場合、ほぼ破砕不能ブラックボックスに収録された「飛行データ」と「コックピット内の音声」を回収・分析して、事故の原因が究明されます。そして、二度と同じ失敗が起こらない様に速やかに対策が取られます。これは、航空会社による程度に差はあれど、業界全体での取り組みとなっており、『過去の失敗から学ぶ努力を絶やさない』業界と評されています。


対して、医療業界では、アメリカ国内の調査で年間5万人~40万人も回避可能な医療過誤によって死亡しているとされます(複数の調査による)。ある医師は、これはボーイング747が毎日2機、事故を起こしているようなものです。あるいは、2ヶ月に1回「9・11事件」が起こっているに等しい。回避可能な医療過誤がこれだけの頻度で起こっている事実を黙認することは許されない』と米上院公聴会で発言したそうです。これは、アメリカにおける死因のうち、「心疾患」「がん」に次ぐ第3位に浮上するとのことです。しかも、老人ホームでの死亡率や、薬局や個人病院(眼科や歯科を含む)は調査対象外でだそうです。

それだけではなく、死には至らない深刻な医療事故も数多く発生していて、例えば、ある女性ががんのために両側乳房切除の手術を受けたが、術後間もなく、生検結果の取り違えがあったこと、さらにがんはまったく発症していなかったことが発覚した事例(酷い・・・)などです。

 

こうした事故は命にはかかわらないものの、被害者や家族にとっては悲惨な出来事であるし、人生に大きな影響を与えるこうした医療過誤による深刻な合併症や後遺症で苦しむ患者の数は、死亡者数の10倍にのぼるとの試算も出ているとのこと・・・ホントに恐ろしいです。

 


さて、このような違いを生む要素のうち、重要な概念である「クローズド・ループ」「オープン・ループ」という概念について紹介したいと思います。(この用語は、本来、制御工学で用いられる用語ですが、本書では意味が異なるとのことです)

本書での定義

  • 「クローズド・ループ」:失敗や欠陥にかかわる情報が放置されたり曲解されたりして、進歩につながらない現象や状態を指す
  • 「オープン・ループ」:失敗は適切に対処され、学習の機会がもたらされる状態を指す

 

クローズド・ループの例として、「瀉血(しゃけつ:西暦2世紀、ギリシアの医学者ガレノスが広めた血液の一部を抜き取る拝毒療法)」や水銀療法など、医学の黎明期に広まった治療法について触れています。これらの治療法の多くは、実際の効果がないばかりか、なかには非常に有毒なものさえありました(瀉血に関して言えば、病気で弱った患者からさらに体力を奪い、大勢の患者が亡くなっていました)。しかしながら、これらの治療法は、永らく一般的な治療法として広く認められていました(瀉血は19世紀になるまで広く行われていた)。

当時の医師たちがこのことに気づかなかった理由は、治療法が良いか悪いかについて、一度も検証しなかったからだと言います。つまり、瀉血を受けた患者の調子が良くなれば「瀉血で治った!」と信じ、患者が死ねば「よほど重病だったに違いない。奇跡の瀉血でさえ救うことができなかったのだから!」と思いこんだからなのだと・・・(うーん、思い込みは怖いですねぇ・・・企業の現場でもいたるところで発生している気もするけれど。)

 

オープン・ループの例は、先の航空業界の例が挙げられるでしょう。失敗から学び、改善策にフィードバックするループを繰り返すことですね。

 


さて、本書の秀逸な点は、ここで終わるのではなく、なぜこのクローズド・ループに陥ってしまうのかを様々な事例を通じて炙り出していることと、オープン・ループによる成功事例を多くあげて、感情的にクローズドに陥りがちなところを、具体的なメリットを提示して(理性で?)オープン・ループに向かおうを思わせようとしているところかと思います。

 

感情面で言えば、

  • 失敗をすると強く責められる環境にあると、失敗の原因を隠蔽して無かったことにしようとする=クローズド・ループに陥りやすい(というよりほぼ100%陥る)
  • ある選択をするまでに掛けた労力が大きければ大きいほどその選択が失敗であったことを認めたくなくなる=選択した方の事柄に何らかの意義があるものとして扱いたくなる

などが挙げられています。先の医療ミスも短絡的に関係者を責めてしまうと、上記理由によって、より一層隠蔽しようするように誘導してしまうということです。

また、

  • 慣習としてミスを隠蔽して認めないことが正しいと思い込んでしまうという組織的な伝統

の存在も挙げていたりします。要は、「以前からこうするのが当たり前という先輩たちが山ほどいる中で、新参者 and/or 若者(相対的な年齢や組織内での経験年数などの意味での若者の意。絶対的な年齢での若者だけが対象ではない)一人が何を言っても勝ち目がない状態」ってことですかね?


あー、こーゆーのあったなぁ・・・ミスを隠蔽したところでお客様の信頼を獲得できる訳でもなく、状況の改善にもつながらないのに、自分達の責任にならない様に、ならない様に・・・と一生懸命(無駄な)知恵を絞っていた(前職以前の)先輩社員たちが目に浮かびます。

個人的な意見ですが、よほど道義に悖(もと)るようなミスでない限り、さっさと顧客に問題やヤッてしまったミスなどを報告して、リカバリの方策について説明したり相談に乗ってもらった方が(あとで問題が大きくなった後に発覚するよりは)よほど被害もリカバリに費やす労力も小さくて済むし、最終的には信頼の獲得にもつながると思うのですよね。

多くのお客様は、あらゆるミスが発生しない(と見せかけられる)ことよりも、正確&迅速な報告と、発生した問題へ適切に対処することの方が好まれると思います。もし、それが許されないのだとしたら、既にその時点で信頼を失っていることの証左であると捉えた方が良いかと・・・(もしくは、筋の悪いお客様(とは言ってはいけない人種)か・・・)


さて、それはともあれ、上記のことを鑑みると、新しいことへのチャレンジにおいて、早い段階でどんどん試して誤りを発見していくことには、とても大きな価値があることが分かります。

粗い段階でアイデアを試したり、完成度が低い段階で製品やサービスを市場に投入することに抵抗を感じる人は多いと思うのですが(そんなことしたら信頼を失うのではないか?とか、アイデアが流出してライバルに真似されるのではないか? とか・・・)、学習面でも心理面においても、成功したいのであれば、逆に早めに試さなければいけないということなんですよね。

最初から完璧なものを作ろうと思っても、購入したり利用したりするユーザーが望むものを、実際に提供して観察せずに何が正解かを100%完璧に想定することは恐らく不可能です。また、失敗してやり直すにしても、投資した労力・時間・費用が大きくなればなるほど、失敗したことを認められなくなります。だからこそ、投資する資源が小さい段階で検証して、軌道修正を繰り返すべきなんです。そうすれば、失敗から学んだことが意義のある投資にになりますから。。。

それが大き過ぎると「失敗=倒産」ということになりかねません(あれ、大手製造業で企業解体に追い込まれている事例がいくつかあったような・・・?)。

また、小さな実験段階では、よほど分かり易く、かつ、大々的に意図を公表しない限り、ほとんどのアイデアは真似されません。そもそも誰も注目してないでしょうし、仮に見てる企業があったとしても真似するほどのアイデアには見えない可能性が高いので。(新しいアイデアなんて失敗率が非常に高いので、そのアイデアの失敗から学べることを盗むつもりでもない限り、真似する価値が無いのです)

でも、何かしら達成したいことがあり、その実現方法を発見するために意図的に失敗込みの実験を繰り返す場合には、大きな価値が出てきます。もちろん、それには、達成したい目標なりビジョンなりがある必要はありますが。。。


あー、なんかこれ書いていたら、これまで「失敗したらどうするんだ? お前は責任を取れるのか?」とか(責任を取るのがお前の仕事だろ、アホ上司(役員)め!)、「成功しすぎたら顧客のニーズをどうやって満たすんだ?(そんな簡単に新規顧客を獲得できねぇって、さっき言ってただろうがよ!)」とかなんとか言って、とにかく新しいチャレンジをやらせまいと、僕に煮え湯を飲ませて来た(以前所属していた企業の)上司どもの目の前に「だからお前たちはダメなんだよ!」と本書を叩きつけてやりたい気分になってきた・・・

(じつは過去に研究開発チームのリーダーをしていた時に、何度も何度もあれこれ無理難題を言われてアイデアを潰されてきたんですよ・・・100%成功する新規研究開発なんてあるわけねーだろ!? 100%成功する時点で研究開発じゃねーんだわ!って思ってました。ちなみに、失敗から学ぶコンセプトでも企画を提示したことがありましたが、「お前の勉強のために金を出すんじゃねーんだよ?!」と凄まれました・・・そんな会社やめて正〇△×ぐふっ・・・ちなみに私が出したアイデアの内、いくつかは他社さんが後日サービス化して成功してました・・・涙。もちろん、ダメだったものの方が多かったですけどね

 

 

と、話が逸れましたが、本書では、航空業界と医療業界の対比がたびたび出て来て、航空業界はオープンで医療業界はクローズドとされるのですが、航空業界の場合は、事故が起きたときに被害者が多すぎて隠しておくことは不可能であるというのもあるのかな。。。と思ったりします(ほとんどの方が亡くなれてしまいますし・・・)。

また、原因究明と再発防止策をしっかり打ち出さないと、それこそ顧客離れが進んでしまうというのもあるでしょう。

あとは、航空機の場合、機長やスタッフ、もしくは、機体の整備不良などが原因だったとしても、それが直接エアラインという企業全体の過失にはなりにくいので、原因を公表しても、企業全体のダメージになりにくいというのもあるのでしょう。私の浅い知識では、航空業界の場合は、一度のフライト事故で航空会社が倒産するというのは聞いた記憶がありません。航空業界は、基本的には寡占された業界なので、一度の事故で倒産にまではなりにくい構造の業界なのかな?と思ったりもします(調べてないので、間違っていたらごめんなさい)。もちろん、事故の原因があまりに酷い企業体質によるものだったりとか、事後の対応も酷いなどがあれば分かりませんけど。

 

それに対して、医療業界の場合は、

  • 院内感染による集団的な被害事例や薬害などを除いて、基本的には患者一人もしくは取り違えなどでも2~3名までの被害事例となり、1つ1つの医療事故は注目されにくい規模であること
  • かつ、基本的に当事者以外がいない密室で事故が発生すること、患者とその家族サイドと医療提供側に大きな専門知識の差異があること、などにより、なかなか医療側の過誤について指摘するのが難しいこと(死人に口なしというのもありますかね・・・嫌な言葉ですが)
  • さらに、一度のミスが医者や病院の評判にとって大きな影響を与えること(=代わりの医者や病院がたくさん存在する)ことから、隠蔽することに対するインセンティブがあること

などが挙げられるのかなぁ・・・と思います。

つまり、医療事故が発覚すると、該当の医者もしくは病院の今後に大きなダメージが発生すると考えられていること(つまり、医療事故発覚が致命傷になると恐れられている)と、事故の規模や特性的に隠蔽しやすいことから隠蔽体質になってしまうのかな・・・と。

 


ともあれ、医療業界や政治家、検察などの隠蔽体質もどうしたものかと思いますが、これは利用者側というかマスコミ側というか、世の中全体的に失敗に対して極めて不寛容であるということも影響しているのかな・・・と思う時があります。

意図的な悪意を持った行為は罰せられるべきですが、意図しないミス=過失の場合の対処については、もう少し甘く見てあげても良いのかな?と(もちろん、その失敗から学べるようにするためにです)。

また、今回のコロナ禍の様な未知の出来事の場合、計画的な試行錯誤を許さないと、何が良くて何が悪かったのかが検証できないですよね。。。

 

まぁ、怠慢とも言えるような、行政がやるべきことをやらずに被害者を出した場合(例えば、2021年6月28日の千葉県八街市の飲酒運転による児童5名死傷事故、など)は、どう考えれば良いか悩みますが。

過去の失敗(同様の事故)から学ぶことができていれば発生を防げたとも思うのですが、この様に過去から学ぶチャンスがあったことを繰り返した場合も過失と考えるべきなのか、それは過失ではなく、故意もしくは未必の故意と扱うべきなのか、それとも、善管注意義務とか職務怠慢的な何かとして扱うべきなのか、、、どうなるのが一番世の中の進歩につながるのでしょうか。(被害者感情にも応えてあげたいけれど、一律にはいかない領域とも思えるので、せめて仕組みづくりの面からどうするのが最善なのかはアイデアが欲しいところです)

 

 

いずれにせよ、単純に「失敗=悪」ではなく、「失敗=学ぶチャンス」としていかないと、世の中の改善スピードは、旧時代の医療界の様に千年単位で進歩しないということになってしまいます。

残念ながら、この一世紀の間では、科学と経済(は微妙かもですが)は大きく進歩しましたが、政治(はある程度良くはなってるけど、まだまだ良くなれるハズ)・司法・平和(もなんだか雲行きが怪しくなってきた)については、先の2つ比べてあまり進歩してないのではないかと感じています。

 

そして、この書籍の日本語版が出版されたのが2016年末(12/25)で、かつ、その時点で既に22か国で出版された後だったことを考えると、これだけの年月が経ってもまだまだ失敗から学ぶことの重要性が広く理解されているとは言えない状況に、一刻も早く&多くの人が本書を読むべきとの思いを強くしました。(いや、お前も今年になって初めて読んだだろ!と言われたら、その通りなのですが・・・)


と言う訳で、身近な人に地道に本書の啓蒙に努めてみようかな、と思う今日この頃です。ぜひ、このブログを読んだ方は、本書を一読してみてください。

 

それでは、また。